東インターネット 2018 10 8

 米ソ冷戦時代、世界は、
アメリカを中心とする西側諸国と、
ソ連を中心とする東側諸国に分断されていたのです。
 冷戦終了後、「ベルリンの壁」の崩壊に象徴される「民主化」は、
あらゆる分野に及びました。
 たとえば、コンピューターの「民主化」です。
「Windows」の登場によって、
誰もがコンピューターを使えるようになったのです。
 さらに、インターネットの登場によって、
情報の「民主化」が始まったのです。
 たとえば、「Google」で検索すれば、
誰もが、あらゆる情報や知識を簡単に得られるようになったのです。
 「Windows」もインターネットも、
あらゆるものを「民主化する」という方向性があったのです。
 ところが、最近では、
インターネットを独裁体制の維持のために利用する国が多くなったのです。
 多くの国民がインターネットを利用するのを見て、
政府が検閲や情報の削除をすることによって、
国民をコントロールする手段として、
国家がインターネットを支配するようになったのです。
 これは「表現の自由」がなかった、
ソ連を中心とする東側諸国を連想させます。
つまり、インターネットの世界に「東側諸国」ができつつあるのです。
 今のところ、誰も気にしていませんが、
これはローマ帝国が東西に分裂したことよりも、
重大で歴史的な事件と言えるでしょう。
 インターネットを国家統制の手段に使う「東インターネット」は、
1990年代にインターネットの普及に努力してきた人たちにとっては、
想定外だったでしょう。
 「国家が情報や知識を独占するな。
情報や知識は、すべての人のものである」
これがインターネットを普及させる原動力だったのです。
 すべての人がインターネットを使えるようになった。
しかし、そこで事態は暗転するのです。
「政府の介入」という事態になったのです。
 すべての人がインターネットを利用するということは、
インターネットを支配すれば、
すべての人を支配できると気づいたのです。
 インターネット普及のために、
私財をなげうって、あるいはボランティアで努力してきた人たちにとっては、
「まさか、こんな結末になるとは、夢にも思わなかった」と言いたいでしょう。



















































































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